それはナッチャンが、5つになったばかりの夏、
とつぜんパパがお休みがとれたといって、
とおくの川へ、およぎにつれていってくれた日のことでした。
その川は、いったいどこの場所にあったのか、わかりません。
車はしらない町をいくつもすぎ、
山にはいり、森をぬけ、
ずいぶんくねくねと、
あがったり、おりたり、まわったり・・・・・・
そうして、ゴロゴロゴロと、岩や石のころがった、
ひろい川原へとたどりついたのでした。
ナッチャンは、まほうのようだと思いました。
ママも、車でいろんなところへつれて行ってくれましたが、
もちろんスーパーマーケットも、プールも、
ちょっととおい大きな公園も、
ナッチャンは、ほんとうに大好きだったのですけれど、
運転手がパパになった車は、
まるで世界をめくるみたいに走って、
あっというまに、しらない国へやってきてしまったようなのです。
――きょうは、パパとナッチャンのデートだよ。
朝、パパは言いました。
ママがいっしょに行かないのは、
さいしょ、とても心ぼそくかんじましたが、
車がとまり、その川を目のまえにしたとき、
ナッチャンは、パパのデートのもうしこみを受けて、
ほんとうによかったと思いました。
ナッチャンは川でおよぐのがはじめてでした。
海のように広くも、ふかくもないですが、
いつもおよいでいるスイミングスクールのプールを
いくつならべても足りないくらい、
長く、おおきな川でした。
それに川原は、なにかしずかな音のする場所で、
ほかにも、あそびにきているこどもや、家族が大ぜいいて、
楽しそうに、わらったり、よびあったりしていましたが、
それよりは、木の音や、鳥の声、水のはねるひびき、といったものに、
満ち満ちてもいるのです。
うっとり川にみとれていたナッチャンに、パパは、
どれくらいおよげるようになったか、見せてほしいとたのみました。
ちょうどナッチャンは、スイミングスクールで、
バタ足10メートルをせいこうしたばかりです。
――いいわよ。
ナッチャンは、ママとそっくりの言いかたをして、
小さなむねをはりました。
川の水は、おもいがけないくらいに、ひんやりしていました。
また、底の石を水がなでてゆくのが見えるくらい、
すきとおっていました。
――よく見てごらん。おさかなさんも、およいでいるだろう?
ひかりとまちがうくらい、
ちいさな、ちいさなおさかなが、
スーイスイ、スーイスイと、およいでいきます。
ちいさいのに、自由自在、
うらやましいくらいスマートなおよぎ方です。
――よし、おいで。
パパが前に立ち、
ナッチャンはパパをおいかけるようにおよぎはじめました。
やっぱり、まほうがかかっているのでしょうか。
川が、ナッチャンのからだをのせてはこんでくれるように、
スイスイ、スイスイ、
まるでおさかなになったみたいに、じょうずにおよげます。
――すごいぞ、15メートル新きろく!
そういって、パパはナッチャンを川の中からだきあげました。
だけど、こんどはパパがナッチャンの後ろに立って、
川のうえのほうにむかっておよぎます。
ながれはゆっくりでしたが、
見えない水のかべにぶつかっているみたいに、
ナッチャンはぜんぜん前へ進めません。
たくさん、たくさん、およいでも、
ながれにさからっておよぐナッチャンは、
2メートルだって進むことができないのです。
ナッチャンは、立ちあがって、下を向いてしまいました。
こんどのは、あまりにいじわるなまほうです。
――なんかい立ってもいいんだから、がんばろう
せなかで、パパが言いました。
だけどナッチャンは、もう足がつかれておよぎたくありません。
さっきから何回も、立っては、およぎ、立ってはおよぎました。
くたくたで、かなしくて、泣きたくなってしまいました。
――じゃあ、パパがうしろからおして、
よわむしさんを少したすけてあげよう。
ナッチャンは、からだの力をぬいて、
だけど手とあたまは、いっしょうけんめい、
まっすぐ前にのばすんだぞ。
そういって、パパはナッチャンの両足をもち、
ながれに負けないように、後おししてくれました。
ナッチャンは、バタ足のかわりに、
川とおなじ形になるように、からだをやわらかくのばしました。
すると、まっすぐにのびたナッチャンの手とあたまは、
水のかべを、どんどん、どんどん、うちやぶっていきました。
そういえば、自由自在におよいでいるおさかなの形も、
ながれる川の水に、にている気がしました。
そんなふうにして、ナッチャンは川をおよぎました。
何回も、たくさん、およぎました。
そしてパパは、川をおりるときは前に立ち、
のぼるときには、後ろに立って、
ナッチャンがおよぐのを、見まもりつづけてくれました。
*
ママがつくってくれたおべんとうを食べおわって
すこしお昼ねをしようとパパが言い、
シートの上に、ごろりとねころんだときのことでした。
三人のおとこの子たちが、そばの川原であそびはじめ、
にぎやかな声をたてました。
――バーン、バン、バン、ババババーン
――うっ、やられた・・・。
――だいじょうぶか?いま、たすけるぞ。バキューン、バキューン・・・・・
――うわあ、やめろお!しぬ・・・・
三人とも、なにか、あかやみどりのおもちゃを手にもっています。
バーンとか、バキューンとかいうたびに、
そのさきから、いきおいよく水がでて、
あいてのおとこの子にふきかかります。
おとこの子とあぞぶことの少ないナッチャンは、
そんなおもちゃをはじめて見ました。
なんて、すてきなおもちゃなのでしょう。
――あれが、ほしい!!
ナッチャンは、パパに言いました。
――あれは、なあに? ナッチャンも、あれがほしいよ。
サングラスの下で、目をとじていたパパは、
おきあがって、ナッチャンの指さすほうをながめました。
――みずでっぽうか・・・・。
――ミズデッポウ?
ナッチャンは聞きかえしながら、
じぶんもそれであそんでみたいと、パパにたのみました。
おとこの子たちがしているのは、きっと「せんそうごっこ」です。
パパといっしょにあそんだら、すごく楽しいにきまってます。
あれがほしいな、あれがほしいな、
ナッチャンはくりかえして言いました。
すると、パパはちょっとかんがえるかおをして、
――ナッチャンは、てっぽうがどんなものか知ってるかい?
とたずねました。
ナッチャンは、ちょっとかんがえる顔をしてから、
首をよこにふりました。
なん度か、おとこの子といっしょにせんそうごっこをしたことはありましたが、
ナッチャンは、けんやビーム、あとはチョップくらいしか使ったことがありません。
パパはそんなナッチャンにおしえました。
てっぽうは、とっても、とってもコワイものなの。
てっぽうのたまにうたれると、大けがをするし、
しんじゃうことだってある。
だれもかなわない、つよくて、こわくて、あぶないどうぐ・・・
そんなてっぽうでも、ナッチャンはほしいかい?
パパが、あんまりおそろしそうな顔をしたので、
ナッチャンはこまってしまいました。
ナッチャンだって、そんなこわいてっぽうはいりません。
――あのね、ナッチャンはね、
よわむしのてっぽうでいいの。
ハッハッハ・・・・
パパはわらって、ナッチャンをひざの上にのせました。
――よわむしのてっぽうか。そうだね。
ほんとうのてっぽうも、そんなやさしいものだったらいいのにね・・・。
でもなあ、ナッチャン、
てっぽうっていうのはね、
もともとにんげんの中にすむよわむしがつくった、
よわむしのためのどうぐなんだよ。
そういって、パパはお話をはじめました。
・・・・・にんげんが、ほかのどうぶつと少しちがうのはね、
いっぱい、いっぱい、どうぐをつくることなんだ。
ごはんを食べるためにおはしをつくったり、
お皿をつくったり、
さむくてかぜをひかないように、ふくをつくったり、
雨にぬれないように、おうちをつくったり、
字をかくためには、かみもつくったし、えんぴつもつくった、
とおくの人とお話ができるように、でんわをつくった、
そらをとべるように、ひこうきをつくり、
うちゅうに行けるように、ロケットもつくったね。
にんげんは、ほんとうにたくさん、どうぐをつくるどうぶつなんだ。
そしてまいにち、いっぱい、どうぐを使ってくらしている。
どうぐはね、こうやって、じぶんやだれかを助けたり、
幸せにするためにつくられるもの。
でもね、てっぽうはちがうんだよ。
てっぽうは、あいてを殺すためにつくられたどうぐ。
だれかをきずつけることいがいに、使いみちのないどうぐなんだ。
それはね、ほんとうは、だれにもひつようがないもの。
ほんとうは、そんなものがなくっても、
にんげんは、とっても強くなれるんだから・・・・・・
ナッチャンには、お話のことはよくわかりませんでしたけど、
パパの声がときどき悲しそうにきこえて、
ちいさなむねが、キシュッ、キシュッ、といたくなりました。
そのとき、みずでっぽうであそんでいたおことの子のひとりが、
ワア・・・といって、泣き出しました。
ほかのふたりからうたれて、
顔を水びたしにされてしまったのです。
大声でないているその子の、
下にたらされた手の中には、
プラスチックのあおいてっぽうが、かたくにぎられたままでした。
ナッチャンは、そのおとこの子がじぶんのように思え、
なんだか、しょんぼりとなりました。
もう、よわむしのてっぽうも、ほしくありませんでした。
パパはだまってほほえんだだけで、
ひざの上のナッチャンを、正面の川へむくようにだきなおしました。
――ところで、ナッチャンは、この川がどこへいくと思うかい?
おひるの、たかくのぼった太陽に照らされて、
川はきらきらと、ひかりのおびのようになっていました。
――おばあちゃんのうち。
とっさに、ナッチャンはそうこたえました。
なぜなら、おばあちゃんのおうちのそばには、
こんなきれいではありませんし、色も、においも、音も、
ぜんぜんにてないのですけれど、
やはりどこから来て、どこへ行くのかわからないような川がながれていたのです。
――そうだね。あそこの川ともつながっているかもしれないね。
じゃあ、おばあちゃんのおうちをすぎると、川はどこへ行くだろう?
せなかのパパは、なおも聞きました。
ナッチャンは、首をかしげました。
もしもナッチャンが川をずっとおよいでいったら、
そのときは、もちろん、うきわをつけないといけませんけれど、
おばあちゃんのおうちをとおって、それからもっと、ずっととおくまで、
川にはこんでもらうことができるのでしょうか。
いったい、どこまでゆけるのでしょうか。
――川はね、とってもとおくまで、たびをするんだ。
とちゅうで、ほかの川とぶつかると、
いっしょに一本の川になってね、
それからまた、たくさんの、べつの川とであいながら、
いっしょになって、とおくを目ざすの。
そうしてずっと、ずっとたびをして、
さいごは、海にたどりつくの。
海には、おなじようにたびをして、
ほかにもたくさんの川がやってくるんだよ。
いろんな国の、いろんななまえの川が、
海にそそがれて、まじりあってね、
ひとつのおなじ水になるんだよ。
――オナジミズ?
ナッチャンの目には、
七色の川が海にながれこみ、
にじ色の水ができるようすが見えました。
――そう。にんげんも、いっしょだね。
どこの国のひとも、どんな名まえのひとも、ひとつになれる。
ひとりのこさず、たいせつで、
だれ一人、きずつけていいひとはいないんだよ。
うしろをふりかえって、コクリとうなずいたナッチャンは、
パパのかみの毛にのこっていたしずくが、
にじ色の水にかわるのを見つけました。
午ごは、すこしだけおよいで、おそくならないうちに、
ナッチャンは車にのって、おうちへかえりました。
あんまりながく、ママをひとりぼっちにしておくのがかわいそうだったからです。
車がはしりだしたとたん、
ナッチャンのまぶたは重くなり、
指でおさえても、上がらなくなってしまいました。
およぎつかれたナッチャンは、あっというまに、
ふかくねむりこんでしまいました。
そして目がさめると、ナッチャンは、じぶんのおふとんの中にいました。
川も、石も、水も、みずでっぽうをもったおとこの子たちも、
みんな、いっしゅんのうちに消えてしまったようでした。
それらは、やっぱり、まほうのできごとだったのかもしれません。
*
ちいさかったナッチャンは、
それから、パパのはなしも、
またその川へでかけた夏の日のことも、
しだいに忘れてゆきました。
もう思いだすこともできないくらい、
なん年も、なん年も、とおざかって、
だけど、そのぶんだけ、ナッチャンは大きくなりました。
25メートル、30メートル、50メートル・・・・と、
じょうずにおよげるようにもなりました。
おばあちゃんのおうちにも、
一人でいくことができるようになりました。
また、銃や地雷、核兵器という言葉もおぼえました。
ほかにも、ナッチャンは、たくさんのことができるようになり、
いろんなことをおぼえました。
だけど、ナッチャンにはひとつだけ、
はじめから知っていることがありました。
それは、だれとも、なにとも、あらそう必要はないということ・・・・・。
いつおぼえたのか、
だれに教わったのかもわかりませんでしたが、
それを思いだすと、ナッチャンは、いつも強くなれました。
そして、パパはいつまでもかわらず、
ナッチャンがあぶないときには、前からあらわれ、
ナッチャンがつらいときには、後ろにあらわれて、
やさしく見守りつづけてくれました。
――じゃあ、パパがよわむしさんをすこし助けてあげよう。
だからナッチャンは、どんなときも、つよくなれました。